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「戦友」(せんゆう)は、1905年(明治38年)に日本で作られた軍歌である。真下飛泉作詞、三善和気作曲。 ==概要・エピソード== 全14番の詞から成り立っており、舞台は日露戦争時の戦闘である。関西の児童たちの家庭から女学生の間で流行。やがて演歌師によって全国に普及した。歌詞中の「軍律厳しき中なれど」が実際に軍法違反で、「硝煙渦巻く中なれど」と改められたことがある。 昭和の初期、京都東山の良正院の寺門の前に、『肉弾』の作者桜井忠温大佐が「ここは御国を何百里・・・」との一節を記した石碑が建てられた。日華事変が起きた際に、哀愁に満ちた歌詞、郷愁をさそうメロディーなどから「この軍歌は厭戦的である」として人々が歌うことが禁じられ、陸軍も将兵がこの歌を歌う事を禁止した。また軍部に便乗した人々から「この石碑を取り払うべし」との意見が出て物議を醸した。これは沙汰止みとなり、石碑自体は健在である〔『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)〕。 太平洋戦争中「戦友」は禁歌だったが、下士官・古参兵は「今回で戦友を歌うのをやめる、最後の別れに唱和を行う。」と度々行い、士官・上官によって黙認された場合もあり、兵隊ソングとして認知されていた。 戦後連合国軍最高司令官総司令部は一切の軍歌を禁止していたが、一兵卒の悲劇を歌うこの歌は国民から愛され続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戦友 (軍歌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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